- ものを測る機器にはいろいろあります。これらは専門書を見れば詳しく書いてありますので詳細はそちらに譲ります。計測工学のラベルのある本を探せば詳しく書かれてあります。しかし、残念なことにこれらの一般的な計測工学関連の書物には画像計測について詳しく書かれたものがありません。
- ものを計る装置には、ものに直接あてて測定する直接計測と離れて測る間接計測があります。直接計測の代名詞は「ものさし」です。間接計測の代表的なものは放射温度計などが当てはまります。ものを計る単位には国際規格(ISO)で決められた基本単位があり、長さ(m)、質量(Kg)、時間(s)、温度(°K)、光度(cd)、電流(A)の6単位がこれに相当します。これら基本単位を組み合わせて力や速度、照度などが導き出されます。この中で画像計測を扱う上で「光度」と「光の取り扱い」は大事ですので光と光の記録で詳しく触れます。この6つの基本単位を測定する機器が計測機器(計測装置)です。
- 機器を構成する基本構成要素から機械装置、電気装置、光学装置の3つに分けられます。またこれらの3つを巧みに組み合わせた複合装置もあります。機械装置は「てこ」とかバネ、ブロック、ネジなどを用いたもので、電気装置は起電力、電磁力、抵抗、静電容量などを利用します。光学装置はレンズによる集光、プリズムによる分散、単色光による干渉、偏光が利用されます。
- 下の図を見て下さい。一番上の画像の任意の点を(X,Y)とし、その点の濃度を(D)とします。
- 使用している画像装置がカラー情報を記録できるものならば、濃度情報は、それぞれカラー情報が与えられ、光の3原色を利用した情報なら(Db、Dg、Dr)( = 青、緑、赤)の3つの情報を得ることができます。画像は平面情報と濃度情報の3次元の情報(X,Y,D)が得られることがわかります。映画カメラのようにたくさんの画像を撮影できる装置を使えば画像毎に撮った時間情報が与えられ、最終的には(X,Y,D,T)の四つの情報が与えられることになります。
- 金属の微粒子を顕微鏡下で撮影した画像を思い浮かべて下さい。顕微鏡ではいろいろな大きさの粒子がたくさん見えるはずです。これを写真に撮って、一つ一つ大きさを測っていって粒径とその頻度を表すヒストグラムを作り上げることができます。最近では、顕微鏡にCCDカメラを取り付けてCCDカメラの画像を直接コンピュータの取り込むことができ、取り込んだ画像から画像処理ソフトで即座にヒストグラムを作ることができるようになりました。
- 上図は、時間成分を加味した際の移動する物体をカメラでとらえ(もしくは一枚に多重露光などにより軌跡写真撮影を行い)、これより移動する物体の速度を求める方法を示したものです。10年ほど前、放送用ビデオカメラで、移動する物体のみその動きを多重露光させる方法が採用され、プロ野球中継でピッチャーの投球軌跡を表示するのに使われました。画像から移動する距離を割り出し、撮影倍率を考慮しながら実際の変位を求め時間成分から速度を求めます。また移動ベクトルなども求めることができます。高速度カメラでは、画像を一枚一枚送りながらターゲット座標をコンピュータに記憶させます。
- 一般に、画像から物体の動きを追いかける手法は、粒子追跡法(PIV = Particle Image Velocimetry)という形で流体工学分野で発展しました。
- 江戸時代の伊能忠敬は日本全国を行脚し、地上から測量を敢行し精緻な日本地図を作製しました。1900年代に入って飛行機が発明され飛行機の性能が上がってくると、これに高性能なフィルムカメラを搭載して地上を俯瞰撮影し地図を作ることがはじめられました。これを最初に行ったのは第一次世界大戦時のドイツであったと言われています。人を殺すことを目的とした技術革新がここでも開花しました。現在、航空測量カメラを製作しているのは、ドイツのZeiss社とスイスのWild社です。使用フィルムも240mm巾で長さが120mにも及ぶロールフィルムを使用しています。イメージサイズが230mmx230mmという大きなもので、通常のライカサイズ(35mmフィルム:24mmx36mm)の67倍の面積を持っています。これはCCDの画素換算で言うと96,000x96,000画素相当になるものです。これで地上表面をオーバラップして撮影できるように飛行機の飛行速度と撮影速度を合わせて460枚分の撮影を行います。撮影された互いの2枚の写真は撮影位置が違うためステレオ写真になり、これから地上の3次元(起伏、山などの高さ情報と平面)情報を求め地図を作ります。最近ではフィルムに変わってスキャナーと呼ばれる電子センサーが飛行機や衛星に搭載され、即時性が要求される雲や海洋温度、地表温度の測定に使用されています。気象衛星「ひまわり」もこのスキャナーから地上に送られてきます。資源探査衛星「Landsat」、海洋衛星「ノア」もスキャナーから送られてきます。
- 天体観測の目的は、宇宙の起源を解明することにあります。新しい星雲や恒星の発見のみならずそれらの運動を調べたり、恒星の発する光を分析して恒星の温度や移動している速度を求めます。天体観測も高精度の写真撮影が要求され、乳剤支持体は柔らかなフィルムではなく、厚めのマイラーフィルムやガラス板でできてます。高精度のレンズ、高感度フィルム、高解像力フィルムが要求されます。この分野でもCCDカメラなどに代表される電子画像機器が使われはじめています。高感度高解像力が要求され、微弱な恒星を撮影する場合には光を100,000倍に増幅する光増幅光学装置(イメージインテンシファイア、アイアイ=I.I.)や、CCD撮像素子を-70℃〜-200℃に冷却して相対感度を高める工夫がなされています。
- 天体望遠鏡も大きな技術革新が行われています。下記に示す、NASAが打ち上げた大口径天体望遠鏡「ハッブル」(Hubble)は、地上ではなく大気圏外に望遠鏡を持ち出し(スペースシャトルで打ち上げた)、大気の揺らぎのない環境で恐ろしくきれいな画像を我々に提供してくれます。
- 「ハッブル」のような大がかりな天体望遠鏡はたくさん打ち上げられないので、地上の天体望遠鏡で大気の揺らぎを補正する光学系が開発されました。Adaptive Opticsという手法です。この原理は、天体望遠鏡の主反射ミラーを従来の1枚物に換えて何千個かの微少ミラー群に分けて、それぞれにアクチュエータを取り付け大気の揺らぎに応じて主反射鏡で補正するというものです。
米国NASA ハッブル(Hubble)天体望遠鏡がとらえた土星の嵐
リング中央部の輝度の高い部分が嵐、大気が暖められ積乱雲が発生し稲光が見て取れる。
嵐の大きさは、ほぼ地球の直径。
http://oposite.stsci.edu/pubinfo/BestOfHST95.html
- 交通事故における交通渋滞を何度か経験されたことがあるかも知れません。現場検証は、対向する道路を遮断し巻き尺や白墨で記録をする作業は時間がかかります。航空測量の応用として旭光学が交通事故処理用にステレオカメラを開発し現場の撮影を行い、2枚のパララックス写真から実体図化機(Autograph)にかけられて立体像を作るシステムを供給しています。この撮影のための感光材料にはガラス乾板が使われているそうで、感光材の平面性、解像力が要求されています。これだけ精度が要求されると電子化が難しいかも知れません。
- 国内最大手の自動車会社は、自動車安全実験のために新車を1年間になんと1,000台もぶつけて自社製品の衝突時の安全確認とデータを採取しているそうです。1台200万円〜500万円もする新車をおシャカにするわけですから実験も慎重に行われ、一度の実験にできるだけ多くのデータを取るため高速度カメラも10台〜15台が使われます。これらのカメラで衝突する車をあらゆる角度から撮影し、得られた画像からクルマの変形、ハンドルの変形、ダミー(人形)の挙動などの動きを求めます。当然、この実験にはクルマの中にひずみゲージや加速度センサーが取り付けられ画像データと電気データが統合されデータベース化されています。安全実験には500コマ/秒〜1,000コマ/秒の高速度カメラが使用されています。
写真提供:日本自動車研究所
- 21世紀は環境技術が優先される時代です。これまでは先進諸国の一握りの人々が地球の遺産(石油、エネルギー)を思うまま享受してきました。これと同じことを、これから先60億に迫ろうとする全世界の人々が同じように消費したら、埋蔵するエネルギーもすぐに底をつき、自ら排出する排ガス(炭酸ガス)で自然環境も大きく変わってしまいます。クルマが排出するガスも60億台から出されたら由々しき問題でしょう。
- エネルギーをあまり使わないエンジン、炭酸ガスをあまり出さないエンジン、酸性雨の元凶になっている窒素酸化物を出さないエンジン。こんなエンジンの開発を至上命令として日本のみならず世界の優秀なブレーンが日夜研究を続けています。三菱自動車が開発した次世代環境エンジンGDI、トヨタが開発したハイブリッドカー、ベンツが提唱する水素燃料エンジン、高圧噴霧によって燃焼を改善するディーゼル噴霧・燃焼(デンソーのU2システム)など希望の持てる提案と実験が続けられています。
- エンジン燃焼は、急速燃焼であるためその可視化に高速度カメラは不可欠です。高速度カメラの画像から、火炎の燃焼速度、火炎伝播挙動、火炎温度計測、燃料の噴霧粒径計測、噴霧長、噴霧角度などが計測されています。
エンジン燃焼研究に使用されている16mm高速度カメラアルゴンイオンレーザによるレーザシュリーレン撮影。
銅蒸気レーザ光源を使った高速度写真サンプル(Oxford Lasers Ltd社提供)
ディーゼルエンジンの噴霧及び着火燃焼。カメラは16mmフィルム高速度カメラ。
撮影:Prof. Winterbone - UMIST
- 過日、鈴木孝さんの「エンジンのロマン」(1988年10月8日初版、1994年1月29日改訂1刷、プレジデント社)を読みました。内燃機関であるエンジン発達の過程(航空機のエンジン、戦車のエンジン、など)をエンジン屋の目からおもしろおかしく(それでいて技術的にしっかり押さえて)紹介している本です。鈴木さんは日野自動車工業でエンジンの研究開発に従事され、日野自動車工業副社長の重責にありながら新しいディーゼルエンジン研究を模索する(株)新エィシーイーの社長としてエンジン研究をされてこられた方です。
- この本の中に、「ノッキング」と呼ばれるエンジンのやっかいな現象についての話があり、この現象解明に高速度カメラが導入されて役立ったエピソードが紹介されていました。エンジンの異常燃焼であるノッキング解明に、1930年代米国GM(ゼネラルモータース)社のエンジン研究スタッフが可視化エンジンを作り、可視化実験に開発されたばかりの16mmフィルムタイプ高速度カメラを投入し(高速度カメラを開発したJohn Waddellの論文に寄りますと、3号機だったようです)、原因解明に役立てたのです。ロータリープリズム式16mmフィルム高速度カメラのエピソードは、「歴史背景とトピック」を参照してください。
- こうしたカメラがどのような歴史背景で、どういう需要で使われたのかは高速度カメラに関わるものとしてとても興味があります。ここのところを鈴木氏がみごとに書かれていますので少しだけ紹介したいと思います。
- メルセデスのフランス・グランプリ制覇のエンジンが、サイドバルブ方式を廃して吸排気弁を燃焼室の上部にもっていったことは、混合気を余計入れる点(体積効率を大きくすること)で効果のあることは既に述べたが、実は出力向上の上でもう一つの重要な利点があった。それは、いわゆるノッキングと称する異常燃焼を防ぐのに、この方式がはからずも適していたのである。はからずもという意味は、このノッキング現象が初めて解明されたのは、実に1938年になってからであったからである。また、メルセデスが二つの点火プラグを燃焼室の両側に取り付けたことも、ことノッキングを制する上で、絶大な効果を発揮したはずである。
- 1980年3月、アメリカ自動車技術会(SAE)は、その年次大会で創立75年を祝った。その記念行事の一つとして、最も自動車技術に貢献した人としてラスワイラーおよびウイスロー(G.M. Rassweiler and L. Withrow)を選び、その記念講演を行い、さらに1938年、世界で初めてノッキング現象を写した高速度写真と共に発表された論文をリプリントして再出版した。
- 記念講演はしかし、燃焼関係者だけの小さな部屋で行われた。ラスワイラーはすでに1978年に死去し、記念講演はウイスローによって行われた。司会は、彼の後輩でこれも後年ピストンの下側から燃焼室を初めて覗いたことで有名なボウディッチ(F. W. Bowdich)によって行われた。ラスワイラーの息子が聴講していることが、司会者から紹介された。講演会は燃焼計測のセッションの最初の演題として取り上げられた短いものであったが、多くの感銘を残して終わったのである。
- いまでも、自動車を運転していて急加速すると、多くの車はかすかにノッキング音を発生する。かすかにというのは、その程度に抑えるように設計されているからである。
- 圧縮比を上げれば、熱効率を増加させ得ることはすでに述べた。当然出力も向上させ得るわけであるが、ガソリンエンジンの発達の初期に頑強にこれを拒んだのが、このノッキング現象なのである。すなわち圧縮比を上げると、エンジンは金づちで叩いたようなキンキンという騒音を発し、エンジンを全開にするとますます音が激しくなり、ついにはエンジンを破損してしまうのである。
- この現象は、1904年ころには発見されていたが、多くの人達の研究にもかかわらず解明ができなかったのである。一方、基礎的な燃焼研究から、長い管に可燃ガスを詰めて一端に火をつけると、火は順次、他端の方に毎秒数メートルくらいの速さで伝播するが、突如爆発的に毎秒1000-3500メートルの速さで伝播することがある。これをデトネーション(Detonation)というが、ノッキングの現象が分からない間は、エンジンの燃焼室の中でこのデトネーションが起きるのがすなわちノッキングであろうと信じられてきた。
- ラスワイラーらは、ノッキング現象を直接目で確かめることを志し、燃焼室に穴をあけ中を覗くことを考えた。そして、覗き窓から高速度カメラを使って燃焼の現象を撮影しようとしたのである。1931年のことである。
- この計画を彼らは上司であるケタリング(C.F. Kettering)のところへ持って行った。ウイスローは、この辺の事情を、講演会で次のように語ってくれた。
- 「当時、経済界は大変な不況であった。私の会社(GM社)もその年、大勢のレイオフ(一時解雇)が行われ、すべての経費は極端に切りつめられたのである。一方、我々の実験計画は、写真撮影用のエンジンをはじめ金のかかるものばかり、コダックの高速度カメラだけでも当時なんと3,000ドルもし、全体の研究費は40,000ドルもかかる計算となった」
- が、この研究計画はケタリングがよく理解してくれ、推進してくれたのである。現在では電子機器の発達で、カメラとエンジンの同調も簡単であるが、当時はフィルムの巻き取り装置も、エンジンから駆動するように改造しなければならなかったのである。
- 当然のことながら、そのエンジンの中を覗こうという実験は、次から次へといろいろな障害にぶつかった。特に同時計測が必要な圧力測定の検定は、困難を極めたという。
- 老博士はさらに語り続けた。
- 「我々は、次の三つを誓い合って研究を推進した。
- 1. 必ずデカそう!
- 2. ベストを尽くそう!
- 3. 見栄は張るまい!(No Recommendation!)
- そして1937年、ノッキング現象は、遂に高速度カメラに捕らえられ、その正体を人類の目にさらしたのである。
- ノッキング現象は、デトネーションではなかった。正規に伝播する火炎の前に、勝手に燃焼を始める集団によって誘発された自己燃焼が各所で起こり、燃焼室全体が急速に燃焼し、この衝撃的な圧力上昇によって燃焼圧力が脈動し、これが騒音を発する原因であることが分かったのである。燃焼室の中でも正常な行動に反対するヤツがいたのである。」
- ラスワイラーらの研究は完成した。ノックの本性が突き詰められれば、その制御の方策は自ら分かる。すでに同じケタリングのグループにより発見されていた燃料への添加剤(4エチル鉛である)の効力も加わって、圧縮比は従来の約2倍になり、2ガロンのガソリンで従来の3ガロン分の仕事ができるようになったのである。
- 1938年1月14日の夕方、この記録されるべき研究発表は、デトロイトのキャディラックホテルで行われたのである。
- 老博士は、最後に再びケタリングの理解に感謝して講演を終わった。そして後年ガラスピストンを作りピストンの下側から燃焼現象を初めて観察して名をなしたボウディッチが、SAEからの感謝状をウイスローに贈り、貴重なマイルストーンを残してくれた先輩を称えた。そして全員起立して拍手をする中を、老博士は会場を去ったのである。
- ノッキングは、このように点火プラグから点火された火炎が伝わる前に、燃焼室の端の方にあるガス(エンドガスという)が自己着火する現象であるので、図23-1に示したように、サイドバルブ方式をやめて燃焼室をコンパクトにし、燃焼室の端に早く火炎が到達するようにすれば当然防ぐことができ、また、メルセデスのように点火プラグを二つつければさらに早く燃焼室全体が燃えるので、自己着火を図る異分子が出現する暇がなくなるのである。
- 点火プラグを二つ用いる方式は、信頼性を向上させる目的の他に、このようなノッキングを抑える目的(いわゆる制爆)で、以後航空エンジンでは多用されたが、最近は燃焼速度を上げ、燃費を向上する目的でも使用されている(日産NAPS)。
- 前にも述べたように、ディーゼルエンジンは点火プラグがなく、その代わり圧縮比を上げ、シリンダーの中の温度を通常600℃以上に上げ、そこに燃料を噴射して自己着火させるのである。いうなればガソリンエンジンでは全く異分子として嫌ったヤツを歓迎し、早く自己着火してもらうようにいろいろなお膳立てを図るのである。すなわち、燃料噴射弁から燃料が噴射し始めた瞬間に火がつけば、あとから噴射される燃料に次々と火が移り、結局は円滑な燃焼が得られやすい。しかし、もし自己着火が遅れて、全部の燃料が噴射し終わってから着火したとすると、燃焼室の中の燃料が一度に爆発的に燃えるので、これは大変なことになる。
- 通常のディーゼルエンジンでは、燃料が全噴射量のおおよそ20%くらい噴射したところで自己着火がおこるので、常に程度の低いノッキングを起こしているとも言える。ディーゼルエンジンがキンキンとうるさいのは、このためである。冬の朝などは、シリンダーの中の温度が低いので、自己着火が起きにくく、燃料がかなり噴射してから一度に着火して大きな音を出すことがある。これをディーゼルノックというが、つまりは程度の差をいっているのである。
- したがってノッキングが起こりにくいよう、自己着火をできるだけ起こさないように整えたオクタン価の高いいわゆるハイオクの燃料は、ディーゼルエンジンでは最も嫌うところで、オクタン価の低い燃料をほしがるのである。ディーゼル燃料すなわち軽油に対しては、できるだけ自己着火しやすい目安としてセタン価という価を用い、高いセタン価を歓迎する。すなわち低オクタン燃料である。ガソリンエンジンの世界で落ちこぼれたヤツは、ディーゼルエンジンの世界では優等生になるのである。
- ところで、ノッキングの研究はラスワイラーおよびウイスローのあとも多くの人々によって引き続き研究され、高速度カメラも高性能のものが順次駆使された。ラスワイラーらのものは毎秒5,000コマであったが、1949年アメリカNACA(国立航空研究所)のメール(Male)は一秒間50万コマの高速度カメラを用い、シュリーレン法という手法でノッキングを解析、エンドガスの着火によりシリンダー中にショックウェーブ(衝撃波、空気に与えた衝撃によりその前後で温度、密度、圧力が急変する境界波で普通音速より速い速度で伝播する)の存在を発見した。これはデトネーションであるといわれた。最近の研究では高速度カメラにレーザー光線を利用し(正確にはレーザ・シャドウグラフ)、衝撃波の存在はもちろん、この波が燃焼反応を伴って未燃部分を進行することが確認されている。となると、これはまさしくデトネーションである。デトネーションとは正確には次のように定義されている。すなわち、デトネーションとは火炎が1,000-3,500m/sの衝撃波に化学反応のエネルギーが保持されて進む燃焼である、と。
- エンジンのノッキングをデトネーションであろうと最初に唱えた人は誰か分からないが、エンジンの燃焼も何らかの原因でパイプでの燃焼実験と同じようにデトネーションに急変する、という概念だったのであろう。このためエンドガスの発火が原因であることが分かると、デトネーションという表現もいささか不適当ということになり、有名なリヒティ(L. Lichty)の教科書もデトネーションという言葉は廃止され、エンジンノックという表現に書き換えられた。確かにパイプでのデトネーションと違って、エンジンでは衝撃波に乗った燃焼反応が、正規の火炎に到達したあとは、衝撃波だけが火炎中を進みまた反転するというきわめて複雑な現象であるのでやはり、まとめてデトネーションというのは不適であろう。正確を期すなら、一部にデトネーションを伴った衝撃的燃焼というのが本当か?
- Kodakとベル電話機研究所が初めて開発した16mm映画フィルムを使った2,000コマ/秒のカメラは1932年に登場します。GMのノッキング解明プロジェクトは1931年にスタートしてますからすぐに高速度カメラを導入したとは考えられません。それに高速度カメラはとても高価であったようです。GMのワイスラーは、1937年の論文発表では5,000コマ/秒の撮影を行ったようなので、改良型の高速度カメラを使用した可能性があります。
- 1997年の暮れ、米国スペースシャトルに日本人としては5人目(ロシアのロケットで宇宙に行ったTBS秋山記者を含む)の土井科学飛行士が歴史的な長時間船外活動を行い、宇宙ステーション建設の幕開け宣言をしました。宇宙開発の歴史において高速度カメラの果たした役割は非常に大きいものがありました。スペースシャトルに至るジェミニ、アポロ計画を通じて米国は高速度カメラによる写真計測を確立した形跡を見ることができます。彼らの社会はルール作りに長けていますから、未知の計画も着実にミッションを遂行していきます。高速度カメラはこれらの未知の技術開発になくてはならないものでした。
- 例を挙げましょう。ロケットが宇宙に向かって発射されるとき、何百トンもあるロケットはそれまでしっかりとタワーに固定されているのですが、発射直前に一斉にその固定が外されます。
- どうやって?
- 固定されていたワイヤやボルトを爆薬でカットしロケットを解放するのです。この爆薬は時間的に精密で任意の部位に爆発エネルギーを集中させなければなりません。精密爆薬と着脱ボルトの開発に高速度カメラが威力を発揮しました。
- 液体水素ロケット燃焼も絶対零度近くから数千度の燃焼温度まで一気に上昇します。燃料を素早く送るポンプは極限の状況で命燃え尽きるまで性能を100%発揮しなければなりません。液体を速く流すときキャビテーションと呼ばれるポンプを壊す強い反撥作用が液体内部で発生します。こうしたキャビテーションを起こさず速やかに燃料を流すポンプ系の開発にも高速度カメラが使われました。この液体燃料を燃焼室に送るタービンは、国産ロケットH-IIで脆さを露呈しました。2001年8月には改良を重ねたタービンポンプで国産ロケットが打ち上げられました。
- 1986年1月は、宇宙開発史上忘れてはならない年です。スペースシャトル「チャレンジャー」が搭乗した宇宙飛行士・科学者7名を乗せて打ち上げした直後、大爆発炎上してしまったのです。NASAは原因追及と対策のため92年まで打ち上げを延期しました。この原因を究明したのが高速度カメラでした。詳細は「歴史背景とトピック - 間欠掻き落し式高速度フィルムカメラ」を参考にして下さい。
- 宇宙開発のみならず、航空機産業にも高速度カメラは重要な役割を担っています。ジェットエンジンの開発過程にも安全実験で高速度カメラが使われます。タービンが破壊された際にその破片が客室に入らないようにケーシングの安全性を確認するコンテイメント試験では10台以上の高速度カメラが10,000コマ/秒で使用されています。
- 微小物体を撮影する研究は今も昔も変わっていないように思えます。いやむしろ、最近はミクロ的な考察が増え、顕微鏡などの拡大光学系を用いた高速度撮影応用が増えているように感じます。生物の研究のみならず、金属加工、溶射、噴霧研究、液晶研究、プラズマディスプレィ、固体の微粒化、キャビテーション、インクジェットプリンタなど、研究対象がどんどんミクロ的な視点に移っている感じを受けます。
- 拡大撮影は、比較的撮影倍率の低いもの(撮影倍率1/4倍〜1倍、モニタ倍率は8倍から30倍程度)から顕微鏡を用いた200倍程度まで様々です。倍率が高いほど被写体と光学系は近づけざるを得ません。拡大率が高いレンズは屈折力が強く、焦点距離が短いためです。
- 研究対象によってはレンズが被写体に近づけないケースもあります。こうしたケースでは、焦点距離の長いレンズを使って(天体望遠鏡の反射ミラーを使って)離れた距離からレンズ後方に像を結ばせ、その像を顕微鏡の対物レンズを使って拡大させるという長焦点顕微鏡を使うことがあります。しかしながらこの光学系は暗くなるため高速度カメラでは苦しい選択です。我々の経験では、撮影倍率10倍程度までは、光と光の記録の中の「レンズ」 に説明してある拡大光学系を用います。この光学系は明るくて撮影効果の高い撮影方法です。その方法とは、市販のNikkorレンズの焦点距離の長いレンズ(f200-300mm)と短いレンズ(f20mm)二つを互いに合わせる事によって拡大撮影する方法です。このレンズでは、作動距離(レンズ面から被写体までの距離)46mm、撮影倍率10倍〜15倍、レンズ明るさF2.8で、明るく、かつ作動距離の長い撮影ができます。
- 上の写真は、液晶実験に使われた高速度カメラと偏光顕微鏡の組み合わせです。顕微鏡と被写体を挟んで光源が配置されています。高速度カメラでは強力な光源が必要で、高輝度光源は熱量も強く、そのまま照射すると被写体(液晶セル)を損傷させてしまうので、熱をカットするフィルターや吸収セルを通して被写体に入れています。この実験では、4,000コマ/秒の撮影で、液晶の結晶変化の過度現象を撮影しました。
- 金属を接合する研究及び加工する研究に、高速度カメラは深く関わってきました。素材は主に鉄でした。船舶や橋梁など大型構造物の建設には骨材を接合する技術が不可欠で、しかも精度良く高品質の接合技術が求められました。鉄の局部を融点まで熱して溶かし互いを接合するのが溶接の基本です。局部が熱せられますから熱せられた部分は変形し歪みます。するめイカが熱せられてカーリングするような現象が鉄でも起きるわけです。こうした特性を踏まえて、いかに精度良く品質のいい接合ができるかを研究する分野が大いに発達しました。
- 鉄の他に、銅やアルミ溶接も需要が多いのですが、これらの素材は熱伝導が良いため局部を熱して溶かすことが難しく素材全体が熱せられて品質の良い溶接ができない欠点があります。
- 溶接には電気アークを用いたアーク溶接、真空チャンバーに素材を入れて電子ビームで素材を溶かす電子ビーム溶接、レーザ光の高密度エネルギーで素材を溶かすレーザ溶接などがあります。近年はレーザを用いた溶接技術が進歩しています。レーザもいろいろな種類がありレーザ熱源の種類に応じていろいろな溶接・接合を行っています。たとえば、大出力で溶断を主とするCO2レーザ、微小スポットで微細加工するYAGレーザ、プラスチックの微細加工するエキシマーレーザ、ロボットに取り付けて環境の悪いところでの溶接を行う半導体レーザなどがあります。
- 溶接・接合研究を行う際のテーマとして
- ・溶接棒を接合金属に近づけ溶けた溶滴が接合面に接着される様子
- ・溶けた接合面(溶融池)が再び凝固する過程。クラックの成長挙動
- ・溶けた接合面(溶融池)のビード(溶接の仕上がり)の形成
- ・X線光源を用いた金属内部(キーホール内部)の挙動、ボイドの形成状況
- などがあり、これらの研究に高速度カメラが使用されています。
- 大阪大学接合科学研究所 松縄朗教授は、技術セミナー(1996.12)席上でレーザを使った接合技術と高速度カメラの役割を以下のように講演して下さいました。
- 【レーザ加工における高時間分解能計測の役割】
- ・レーザは自然界には存在しない。人工の光。
- ・レーザは、光通信、計測、エネルギー、核融合、バイオ医学での応用で花開いた。
- ・レーザは、今世紀最高の発明。
- ・レーザは、エネルギー的には、パワー密度が最も高いエネルギー。
- レーザ加工では、1mm程度程度のエリアを常温から10,000°までを扱う。
- この極限の現象が瞬時に終わってしまうため、レーザ加工で時間分解能計測(高速度カメラ)が必要な理由となっている。
- YAGレーザ加工の研究では、溶融池(プール:レーザが照射されてどろどろに溶けた部位)を高速度カメラで撮影する。アルゴンレーザ(緑色)を光源として照射、干渉フィルターを高速度カメラレンズの前に取り付け、アルゴンレーザ光(緑)だけを透過させ、プルーム(レーザ照射によって素材面が溶けて飛び散ったガス化状のもの、プラズマ)を消す。プルームをうち消して、溶融地(プール)の挙動を真上から撮影する。
- 熱源であるYAGレーザの照射の後10msでキーホールに収縮が始まる。従来キーホールは安定していると言われていたが10msの間にいろいろな変化がおきている。YAGレーザ照射OFFで冷却が始まり8msで凝縮する。プールの表面は1ms以内で閉じてしまうため内部に残されたガスが外に出ることができず、内部に欠陥が生じる可能性がある。照射をゆっくり戻すことにより穴の凝縮が遅れ、内部ガスを残さなくすることができる。レーザの波形制御が大事になってくることが高速度カメラから判明した。
- YAGレーザーを照射した際に発生するプラズマプルームを横方向からストリークカメラで撮影した。プルームが周期的に発生と消滅を繰り返していることが判明した。
- 音、フォトセンサー、アルゴンレーザ、高速度カメラを使った解析も行った。プルームが変動し、それに伴いキーホールも変動している様子がわかった。光の変動と音の変動も一致し相関性が認められた。振動数は溶接速度が高いほど高くなる。酸化スラッグの対流によりキーホールが変わりプルームの揺らぎも変化する。
- 内部のキーホールを調べるため、X線装置を開発した。X線イメージャの蛍光面の明るさから200コマ/秒程度が限界だった。最近はI.I.の発達により5,000コマ/秒までの撮影が可能になった。
- このX線可視化装置と高速度カメラの組み合わせで、ステンレス鋼を用いた実験でキーホールに欠陥が残っているのが確認された。アルミ合金は内部のマグネシウムが災いしてボイドがかなりたくさんできていることも確認された。亜鉛メッキ板の合板の溶接では溶融温度が違う亜鉛が悪い振る舞いを起こし内部欠陥を生じる。亜鉛板は溶接の観点から見るとあまりよくない材質である。突き合わせ溶接では低速溶接と高速溶接では内部欠陥のでき方が異なる。これらはX線撮影で判明した。
- 重ね溶接では蒸気の流れが違いボイドの出来かたが異なる。
- 個体と液体の可視化はX線で難しい。超音波装置ではこの可視化が可能と考えるが良い装置がない。
- これら実験設備は世界的に見ても最先端で諸外国からの見学も多い。
- 圧力数万気圧、温度数万度。これらの状況では分子は勿論、原子も原子として形をとどめることができず、電子は原子核から遊離してイオン状態、すなわちプラズマ状態になります。惑星(地球)は、実はこのような状況下で創世されてきたという説が有力になってきています。地球がどのような圧力下と温度の下で作られどのような力を受けたかを研究するグループがあります。また、どの程度の物理力で新しい元素が作られるかを研究するグループがあり、高温・高圧下で作られるダイヤモンドも研究対象の一つです。地球上で極限状況を作る方法はいくつかありますが、強力なYAGレーザを集光させて強力なエネルギーを与える方法や、秒速2Km〜6Kmで飛翔体を打ち出す2段軽ガス銃(爆薬で軽い水素を圧縮させその反力で飛翔体を押し出す装置)を使う方法があります。これらの装置は大規模なため日本に数台程度が設置されて物質特性の研究が行われています。これらの実験は、設備の都合上1日に1回か2回、一連の実験を20〜30回程度、それを年に4、5行程しか行うことができません。これらの研究に高速度カメラが有効に使われています。飛翔体が飛び出ていく姿勢、速度などは高速であるためいろいろな要素が絡み合うため、画像を見て想定しなかったような現象をとらえることがあります。
- 爆薬の研究にも高速度カメラは必須の装置です。瞬時に莫大なエネルギーを放出し高い破壊能力を出す爆薬は平和利用と兵器利用の両刃の剣として今日まで至っています。爆薬の平和利用としては、自動車のエアバッグ展開の膨脹剤、トンネル工事の岩石・岩盤破砕、鉱山の鉱石採集、ビルの発破解体、ダイヤモンドなどの生成、発電エネルギーへの転用があります。これらの現象は瞬時に終わってしまうので高速度カメラが使われます。また、新しい爆薬の開発・性能評価としても高速度カメラが利用されています。
高効率爆薬の試験(200,000コマ/秒の内の1コマ)
高速度カメラ画像から、爆薬の爆速、広がり、火炎の色情報を得ます。
- 流れと高速度撮影は深い関係にあります。エネルギーの伝達を見る場合、流体研究なしにはあり得ません。いかに効率よく流すか(乱流によるエネルギロスをなくすか)が重要な課題です。飛行機の翼の設計、船の形、タービンエンジンの形、ボイラーの設計、エンジンの吸気、排気、燃料との混ざり具合、など、数え上げたらキリがありません。流れの乱れは音としてエネルギーを出し、これが騒音に結びつきます。家庭用のガスボイラー、石油ファンヒータ、ビルのエアダクトの設計、エンジンの排気ガス、ドーム球場のビル風など騒音を抑えるために流れの可視化手法が盛んに導入されています。流れの可視化の研究の多くは流れに順応する粒子(トレーサ)を加え、断面光(膜面光、ライトシート)を流れに照射し、流れの2次元断面を浮かび上がらせる手法(多くはレーザを使うことが多いので、レーザライトシート手法と呼ばれる)が取られています。カメラは30コマ/秒〜20,000コマ/秒が一般的です。
写真右:銅蒸気レーザ光源を使った高速度写真サンプル(Oxford Lasers Ltd社提供)
高速噴流体に蛍光トレーサを入れレーザライトシート手法により、7000Hzで10パルスの多重露光。
粒子が流れて見えるところが速度が速い。
撮影:Prof. Katz - Johns Hopkins Universit
- ビールや、食品、薬品などを製造するラインではできるだけ効率の良い自働機械の配置とそれを高速に運転して時間当たりの製造コストを下げようと躍起です。しかし、やみくもに製造機械の運転を上げていくとタイミングがとれず、不良品が多くなります。この分野では、こうした機械の不具合、あるいはたまにしか起きない不良品がどうして起きるのかを解明するのに高速度カメラが使われています。時間との勝負なので撮影結果がすぐ見える高速度ビデオカメラの要求が高い分野です。また、長時間録画が要求されICメモリよりビデオテープ方式が好まれる分野でもあります。何故? 彼らは現象の解明のためにあまり手間ひまがかけられないのです。計測装置をはじめ彼らがしなければならない作業がたくさんあり、ICメモリカメラのように厳しくトリガ信号が要求される装置は嫌われ、垂れ流し録画ができるテープ方式の方が扱いが楽なのです。
- 高速度カメラの開発はスポーツの分野で花開いたと言っても過言ではありません。1870年代の写真家のエドワードマイブリッジがスタンフォード卿の要請を受けて、疾駆する馬の挙動を12台のカメラを用いて分解写真を得たのを皮切りとして、1932年のロスアンゼルスオリンピックの100m走には、同年開発されたロータリープリズム式16mmフィルム高速度カメラが処女撮影に使われました。同じ頃、マサチューセッツ工科大学のエジャートン博士が開発したクセノンフラッシュも、スポーツ選手の瞬間、ボールの打突瞬間の興味ある映像を提供してくれました。新しい高速度ビデオが出る度にオリンピックに投入され、興味深いスローモーション画像を提供してきました。最近のスポーツ工学は3次元解析がメインです。複数台にセットされたCCDカメラ(フィルムカメラ)からスポーツ運動を3次元的に解析する手法が確立されています。
陸上競技の選手の運動をとらえる35mmフィルム高速度カメラ。 米国コロラドスプリングスで活躍する高速度ビデオ。(1982年)
- 1998年、8月末の大雨による災害は記録的な出来事でした。北関東地区のみならず中国、韓国でも大きな洪水を引き起こしました。2000年9月には名古屋地方で記録的な集中豪雨が続き濃尾平野一帯が洪水に見舞われる惨事がありました。神戸・淡路大震災(1995.1月)も記憶に新しい歴史的大惨事でした。1996年2月には、北海道余市町と古平町にまたがる国道229号豊浜トンネルの出口付近が崩落、バス乗客ら20人が推定岩盤5万トンの直撃を受け下敷きになった事故が思い起こされます。
- このような不幸を通じて(震災を通して)新しい技術の評価がなされ技術革新が行われます。
- 土木工学では、構造物を地盤に埋設する際、土質の構造と構造物の相互関係、地盤の動き、地震による影響を調べる研究が盛んに行われています。遠心載荷装置と呼ばれる装置を使って、1/100程度の土質模型に重力の100倍の力をかけ土質変形を研究します。この研究は、軍事目的(築城、要塞、地下トンネル、シェルター)としても重要な研究テーマで旧ソビエトでは、この手法を使った研究がかなり盛んに行われていたといわれています。
- 1980年、運輸省港湾技術研究所地盤改良研究室(寺師昌明室長、現 日建設計、2006年退職)に、日本で初めての本格的な写真計測システムを導入しました。1980年当時のシステムを以下に示します。実験室の地下には右下に示すような土質模型を載せるプラットフォームがあります。模型といってもかなり大きなもので1200mm x 800mm x 400mm(鋼鉄製:500Kg相当)、これに400mm x 700mmのアクリル窓を取り付けてあります。このプラットフォームは、時速300Kmのスピードで回転し、模型に100G(重力加速度の100倍)を加えます。地下ピットに埋め込まれた写真室から、高速で回転するプラットフォームをストロボを使って写真撮影します。写真は、この目的のために開発した70mmフィルムを使ったパルスデータカメラです。当初の実験目的が700mm x 400mmの被写体を0.1mm精度で非接触計測する事にありました。単純に計算しても7,000画素 x 4,000画素の分解のが必要で、かつ、総合計測精度が0.1mmが求められましたから、18,000画素相当の能力を持つ70mmフィルムカメラを採用し、この性能を十分に引き出すため、独自のレンズ(f=150mm、F/4、解像力100本/mm=11,400画素相当)やパルスデータカメラを開発しました。このシステムは、納入後18年を経た現在でも最も信頼できる計測手法として現役で活躍しています。
写真提供:運輸省港湾技術研究所地盤改良研究室(1980年当時)
- 70mmパルスデータカメラで得られた画像は、左写真のフィルム解析装置でデジタイジングされます。コンピュータは、当時数値計算では高速と使い良さに定評があったYHP(横河ユーレットパッカード)マイクロコンピュータが使われました。コンピュータは、現在は、Windowsパーソナルコンピュータに置き換えられています。デジタイザは、SEIKO社のD-Scan。測定エリア1,300mm x 1,000mmで0.04mmの解像力をもっていました。このデジタイザを使って試料のターゲットを読み取り、レンズの歪み補正、スウィングプラットフォームの位置(試料を載せた振り子架台はブン回す力によって振り上がる位置が変わる)を補正した後データとしてコンピュータに格納されます。このターゲットデータと時間成分を加味して経時変化を求めます。
- この話は避けて通ることはできないものです。科学の発達は、戦争なくしてあり得ない感があります。間違ってもらっては困るのですが、私は戦争賛成論者ではありません。人を殺す、というよりも殺されることから身を守るために、相手より優位に立つために人知と研究費を惜しまなかった、といった方が良いのかも知れません。画家と科学技術者として有名なレオナルド・ダ・ヴィンチは、フィレンツェの軍事顧問技師でした。国を守るためにいろいろな軍事機材を開発するのが彼の本業だったのです。その軍事技術が、機構学、医学に転用されて行ったのです。
- いずれにしてもこの分野で高速度カメラは非常によく使われてきました。
- 参考: AnfoWorld 歴史背景とトピック。
- 1940年代、第二次大戦と朝鮮動乱を通し、アメリカが世界平和のイニシアチブをとるために果たした役割は大きなものでした。この覇権を得るため、膨大な軍事物資を戦場に投入し、且つ、最新鋭の火力、兵力を得るための技術革新、及びその研究開発を押し進めました。航空機、戦艦、原子爆弾、電子技術などがその最たるものです。核開発のために新しい高速度カメラ(1,000,000コマ/秒)が開発されました。カルフォルニア工科大学のBerlin Brixnerがそのカメラ開発にあたりました。詳細は、AnfoWorld 歴史背景とトピックに書かれていますのでご覧下さい。
- 東西冷戦の時代、対共産圏向けに軍需に関する物資、機器、技術情報を輸出することは禁止されていました。この規制は、1950年にアメリカを中心とした自由主義諸国が集まって、COCOM(Coordinating Committee for Export Control: 対共産圏輸出統制委員会)という諮問機関がパリに設置され、東西冷戦が終焉する1994年までCOCOM対象製品をこと細かく分類し輸出規制を行っていました。この機構は、1996年に新国際輸出管理機構(ワッセナー・アレンジメント:Wassenaar Arrangement)としてウィーンに事務局がおかれ新しい出発をしました。この新しい機構では、輸出規制国を予め規定するものではなく、参加国の合意によって対象国を決めるということになりました。今現在では、イラク、北朝鮮が輸出規制国になっています。
- 高速度カメラについても、撮影速度の速いものはこの対象品になっています。爆薬の開発、銃器の開発に高速度カメラは必需品だからです。この他、性能のよい光増幅光学装置(イメージインテンシファイア)、高解像力CCDもしくは固体撮像素子などもこの対象に入っています。
- この項では、高速カメラに直接関係のない、軍用のために開発された光学・コンピュータ技術を少し紹介したいと思います。
- 戦時中は、飛行機の風防(キャノピー)に使われていたアクリルが、今では想像のつかないほどの希少価値をもっていた。当時はこれを『有機ガラス』あるいは商品名で『プレキシグラス』と呼んでいた。アクリルが開発される以前の航空機の風防は、とにかく振動衝撃に耐える必要性から、二枚の無機ガラスをセルロイドで張り合わせるなどの方法がとられていた。軽くて割れにくいアクリル樹脂の国産化を目指し必死の研究が続けられ、1936年に海軍が、そしてその翌年、旭硝子と藤倉化成が合成に成功し、1938年から量産に入る。その三年後に太平洋戦争が始まり、アクリル製キャノピーを装備した戦爆連合350機の鑑戦機が真珠湾に殺到した。第二次大戦中、わが国ではアクリル樹脂は軍需品に指定され、最盛期には年産600トンの板材が生産されもっぱら風防ガラス用に使われた。この間、一般民需用はゼロだったという。
- このアクリルは、米国では原爆開発(マンハッタン計画)の一翼を担った。ウラニウム235を使ったヒロシマ型原爆とプルトニウム239を使ったナガサキ型の原爆開発が平行して進められた。シカゴ大学の構内に作られた世界最初の原子炉に続いて、ワシントン州ハンフォードに原爆製造用の本格的原子炉が建設される。この時制御棒の昇降などの操作がはたしてうまく言っているか外部から観測するために、潜水艦の潜望鏡を改造したペリスコープ使われたという。しかし、このペリスコープのガラスレンズがあっと言う間に黒化してしまう。炉内の強烈な中性子によるガラスのブラウニング現象がこの時発見された。
- マンハッタン計画では大学を出たばかりの若いデュポン社のダン・フリール技師がこの解決を命じられた。彼は色々なガラスの種類をとっかえひっかえやってみるがすべて徒労に終わり、窮余の策としてプラスチックレンズを試みると、これが何と、全く黒化しない。こうして完全プラスチックレンズ化したペリスコープが開発され、これを使って遠隔操作された原子炉から、まず二発のプルトニウム原爆が生まれる。一発はテスト用としてアラモゴルドの荒野に炸裂し、二発目が8月9日長崎に落とされた。
- この第二次大戦の重要資材アクリル樹脂こそが、現在プラスチックレンズの主力。透明性、軽量性、対薬品性、強靭性にすぐれ、無数の高分子材料の中で光学用としてのアクリルはまさに女王の座を占めるといってよい。名刺の箱などに使われているすぐ割れるちゃちなスチロール系樹脂などに比べたらまさに月とすっぽんだ。プラスチックメガネだけはCR-39という別系統の材料だが、アクリルはカメラのファインダーから始まって最近はコンパクトカメラの撮影レンズの一部にさえ組み込まれている。
- 最近の眼科では白内障の治療に眼内レンズという斬新な治療法が開発、導入されて成功を収めている。これは濁ってしまった眼の水晶体を摘出して、代わりにアクリル製の人口水晶体を入れるという大胆な治療法である。この方法は、アクリルのキャノピー内で敵弾を受け、飛散したアクリル片が眼の中に入ったまま生還したパイロットが、そのまま数十年、なんらの病変を生じないケースから着装されたという。
- - 『カメラと戦争』小倉 磐雄(おぐらいわお)1994.12.20、初版、朝日新聞社
- スウェーデンのBofors社の40mm対空機銃。神風攻撃に威力があった。オリジナルの設計はドイツ・クルップ社の資本と技術がスウェーデンに逃避したもの。ボフォース機銃に装備された照準器がカート・ホィール・サイト(環型照準器)。カートホィールとは荷車の車輪のことで、照準器の形がそっくりなことからきている。環が二重、三重になっていて、それが標的の速度200ノット、300ノット、400ノットに対応し、弾丸の飛行速度だけ前方を狙うというもの。
- イーストマン・コダックでカメラを設計している人がおもしろいことを言った、「おれは仕事でカメラ設計をやっているが、カメラのファインダーというのはみな間違っている。特にいけないのが一眼レフのファインダーで余白がないことだ。静止した被写体ならともかく、動き回る被写体をあんなもので追えるわけがない。おれは爆撃機の機上射手の訓練を受けたが、銃座の照準器はカートホィール・サイトが基本だ。カメラで言えばフレームファインダーにあたる。あれが、もし一眼レフのように余白のないものだったら、三時の方向に敵戦闘機!といっても、手も足も出ないじゃないか」
- - 『カメラと戦争』小倉 磐雄(おぐらいわお)1994.12.20、初版、朝日新聞社
- 米国ノルデン式爆撃照準器。アメリカの悲願、ピンポイント爆撃用に開発。1931年、カール・ノルデンの発明にパテントが成立していたが、国防上極秘ということで、戦後かなり後になるまで伏せられていた。この装置は光学的照準器がコンピュータを介して自動操作装置と結びつき、しかも光学系はジャイロで安定化され、機体の揺れに左右されない機構になっていた。コンピュータは機械式アナログ計算機。
- 青木小三郎海軍技術大佐が開発責任者。当時日本光学の監督官も務めていた。戦後は日本真空光学の技術部長、監査を務めた。戦艦大和に搭載した国産測距儀の原型は、ドイツ・ツァイスの倒分像立体視(ステレオ・インベルト)式と英国バー・アンド・ストラウド社の合致式の両方を取り入れたもの。
- - 『カメラと戦争』小倉 磐雄(おぐらいわお)1994.12.20、初版、朝日新聞社
- エドウィン・ランド博士は、ハーバード大学中退。学生時代偏光現象に傾倒。中退後、ニューヨーク公立図書館にこもり、猛烈な独学自習のすえ、偏光に関係のある文献を片っ端から読破した。「ポラロイド」偏光フィルター商品化。インスタントカメラは、自分の三歳になるお嬢さんの写真を写した直後に「いま撮った写真をすぐ見せて」とせがまれて、発想し企業化。
- 軍事偵察カメラの開発。1954年、アイゼンハワー大統領はソ連側の奇襲攻撃探知のために専門家を召集し方策を求める。一つの分科会の委員にデドウィン・ランド氏が任命され、彼が並入る学識経験者の批判と反対をものともせず強硬にその実現性を主張したのが、70,000フィートの高空に安定したプラットフォームを実現し、ここから超精密カメラでソ連の中枢部を撮影するというものだ。ランド氏は写真の専門家だけあって、撮影機材の可能性は絶対大丈夫と請け負ったが、七万フィートの高空に安定したプラットホームをどうして実現するか当問題はロッキードエアクラフト社に持ち込まれる。当時のミグ戦闘機の上昇限度が50,000フィートそこそこだったから七万フィートあれば撃墜を逃れられるはずであった。
- ロッキードでは戦闘機設計者として実績のあるケリー・ジョンソンが引き受ける。カリフォルニア・バーバンクのロッキード工場で密かに完成したのが、かのU-2である。これに搭載されたカメラの名称はモデル73B、略してタイプBカメラ。最初CIAの予算で対ソ・スパイ撮影専用に開発され、レンズ名はHR73B1で、焦点距離36インチ(914mm)、画角28度、一説によるとマイラーベースのコダックフィルムにミリ当たり60本の高解像力で撮影していくという。画面が広いだけに大変な情報量となる。しかも一機のU-2機に真下に向けて一台、左舷斜めに三台、右舷斜めに三台と合計七台据え付けられていて同時に連続撮影していくのだ。
- この高解像力のスパイカメラレンズを設計したのはハーバード大学天文台のジェームズ・ベーカー博士だ。レンズは、パーキン・エルマー・コーポレーションで製作された。
- - 『カメラと戦争』小倉 磐雄(おぐらいわお)1994.12.20、初版、朝日新聞社
- 第二次大戦後、アメリカがエレクトロニクス技術を革命的に飛躍させたのは、ソ連に対する限りなき恐怖からであった。その筋目は二つある。一つは当初アメリカが独占していた核の技術を、ソ連もまた保有していることがわかったときである。アメリカ空軍は、原爆を積んだソ連の爆撃機が北極圏から国境を越えて北米大陸に進行してくる恐怖に戦慄した。こうしてアメリカは、米ソ国境に無数のレーダーサイトを建設し、それらがとらえた敵機影を時事刻々に処理して的確な迎撃体制をとる、巨大な防空システムを構築したそれが、SAGE(Semi Automatic Ground Environment: 半自動防空システム)である。
- これがアメリカのコンピュータ技術を飛躍的に高めた。コンピュータの利用法を、バッチ処理(ときどきまとめて一括処理すること)からオンライン・リアルタイム処理(通信線で遠隔地の情報を時々刻々に連続的に処理すること)に変えていった。SAGEの研究に参加したIBMが、このときに吸収した技術を商品にしたのが、科学計算用のスーバーコンピュータ「ストレッチ」であり、その延長線上にIBM「システム360」が開発された。
- 1957年10月、ソ連の人工衛星スプートニクが打ち上げに成功した。ソ連は再びアメリカの空軍を恐怖のどん底に突き落とした。また、1961年4月にはソ連の宇宙飛行士ガガーリン中佐を乗せた人工衛星ヴォストークが地球周回に成功した。これでソ連が宇宙から核攻撃ができるようになったと、アメリカは戦慄した。
- 第二次大戦中にV1ロケットやV2ロケットなどの開発を通じて世界一のロケット技術を持っていたドイツから、ソ連は主要な人材を根こそぎ連れ去った。こうしてソ連は、ロケット技術ではアメリカをはるかに凌駕したのである。すぐにはソ連のように大型のロケットを作れないと知ったアメリカは、ペイロード(積載機器)の小型軽量化に努力を集中する。そうした模索の中から、巨大な電気回路を小さなシリコンに搭載する集積回路の技術が誕生し、発展していった。
- ソ連の有人宇宙飛行がアメリカ国民に大きな衝撃を与えた翌月の5月28日、不安を一層かきたてる事件が起きた。ユタ州にある電話中継基地が次々と爆弾テロを受け、大規模な通信停止が起こった。この爆発により、広い範囲で通信機能が麻痺し、国防に使用する通信も同時に停止した。 軍事行動にとって最も重要なことがC3Iだと言われている。三つのCと一つのIを掛け合わせた「CxCxCxI」の相乗効果だというのである。三つのCとはCommand(命令)、Control(管理)、Communication(通信)の頭文字であり、IはIntelligence(情報)のIである。これらが相乗された能力こそが、軍事力を決定的に左右するというわけである。ユタ電話局の壊滅は、C3Iの中の重要なCommunication(通信)が従来のような電話網はいざというときに役にも立たないということを示していた。米国防総省が大きなショックを受けたことは想像に難くない。たった三つの爆弾で、五州の国防通信命令が一時的にせよ完全に止まってしまったのである。国防総省は、空軍のシンクタンクRAND(ランド)研究所に、攻撃に強い新しい通信システムの研究を依頼した。
- RAND研究所はアメリカ空軍が1946年に創設した戦略研究所である。昭和20年3月10日未明に、東京の下町を無差別に焼夷弾で焼き払った東京大空襲を立案実施したのは、カーティス・E・ルメイ将軍であったが、戦後に彼の考えで創立されたのが、対ソの戦略を研究するRAND研究所であった。研究所は、ロスアンゼルス郊外のサンタモニカの海岸にある。
- 1961年、RAND研究所は、空軍の依頼を受けて核戦争にも耐える通信システムの研究を開始。3年後の1964年、13冊にわたる詳細な報告書が完成した。「分散型通信について」である。これが後にインターネットの構築へとつながっていく。
- ポール・バランは1926年ロシアのベラという街で生まれ、二歳の時に家族とともにアメリカへ移住してきた。ロシア系の移民である。フィラデルフィアにあるドレクセル工科大学の電子工学科を1949年に卒業後、電気技師としていくつかの電気会社を転々とした。その後彼は、カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)大学院に入り直して、計算機科学を学んだ。博士課程の途中1959年33歳でRAND研究所に入った。 彼は、RAND研究所でMEC(Minimal Essential Communications: 最小必須通信)の研究に取り組む。これは、有事の際の「生き残る通信システム」の開発に他ならない。
- 冷戦下での核の均衡とは、両国が互いに相手を絶滅できるだけの核兵器を持つことではなく、双方が核攻撃を受けた後も生き残る通信システムを持つことで成立していた。戦争の勝利は必ず、先にミサイルを発射した国のものになるから、最初の攻撃に耐えて生き残る通信システムがなければ、反撃命令が出せない。先制攻撃を受けるとまともに反撃すらできず一方的にやられてしまうとなると、やられる前に先制核攻撃をかけようじゃないかということになってしまう。それでは均衡が保てない。攻撃を受けても反撃できる体制が整っていればむやみに先制する事はないから互いに様子を見ていられるのである。これが核の均衡である。
- 「生き残る通信システム」とは、具体的に言うとテレタイプ一台のメッセージだけでもいいから伝えることができる回線が生き残ることが大事で、これを、MECと呼んだ。要するに大統領から「発射せよ」とか「反撃を待て」のような非常に短いメッセージの伝達をいかなる場合も確保することが絶対に必要だった。
- ポール・バランは、この研究をするに当たり以下のことを考慮した。
- 1. 電波では、迅速にメッセージが伝わらない。
- 2. 電信技術のリレー方式では確実にメッセージが伝わる。
- 3. メッセージを小包にして送る。
- 当時のRAND研究所の所長フランク・コルボーンは、中波ラジオ局の電波をつかって伝えたいメッセージをアナウンサーが朗読して、ラジオ局からラジオ局へ次々にリレーしていく方法を考案していた。短波は電離層を反射して遠くに届くが成層圏で核が爆発すると強烈な電磁波が放射されて電離層が破壊されてしまい、短波通信は使いものにならないことが考えられた。そこで彼はローカル放送用の中波ラジオを総動員することを思いついた。しかし、放送局の電波を使った声の伝言ゲームでは、命令が迅速かつ正確に伝わるとは思えなかった。
- ポール・バランはコンピュータサイエンスに所属していたため、研究所の通信部とは仲が良くなかった。彼らは、レーダー、アナログ通信、衛星通信に目が向いていてコンピュータ技術を基礎とした分野には何の知識も持っていなかった。ポール・バランは通信の知識は深くなかったがこの問題を解決できるのはコンピュータだと確信していた。
- 彼は、コンピュータと電信の技術を使おうと考えた。昔は、全米に網の目のように電信局が置かれていて、隣の局から転送されてきた電文を、紙のさん孔テープに打ち出し、それを受け取った電信士はテープを宛先別に振り分け、目的地により近い隣の局へ転送する。この繰り返しでメッセージは目的地へ到着した。この方法だと、線が切れたり電信局が壊されたりしても、そこを迂回すれば電報は届いた。問題は、これを自動化すること。彼は、これにコンピュータを導入しようと考えた。
- 彼は、メッセージをさん孔テープに打ち出す代わりに、コンピュータのメモリに記憶させる。メッセージを振り分ける作業は、振り分け作業の手順をすべてプログラムに書く。電信士のやる仕事をコンピュータとソフトウェアの手に委ねる。重要なことは、伝えたい情報はすべてデジタル信号に変換して、いったん記憶装置に蓄えてから、送り出すときに一定の長さに区切って、宛先の情報に加えて、入出力装置から通信回線に載せるのである。
- なぜ、ある程度の長さに区切るのか。それは、一本の通信線を長い時間占有することを避けるためであった。長い時間通信線を使うと、その他に利用したい通信者が利用できないためである。メッセージを短いブロックに分割して、宛先をつけて順番に送り出して、一本のラインを交互に使うことにより効率を上げた。受け手は、自分宛の荷札がついたものだけを取り込んで、順につなげてもとの情報にもどす。
- この「ある長さの0と1のグループ」をバランは当初、「メッセージ・ブロック」と呼んだ。これは現在「パケット:小包」と呼ばれている。パケットの先端部分には、宛先やその他の情報が記載されその後ろに送りたい情報の断片がくっついている。パケットがどんな風にできているかは、共通規格として厳密に定義されている。現在インターネットで使われているパケットの規格は、インターネット・プロトコル(IP)と呼ばれている。こうした、信号の自動転送と小包化という二つのアイデアから生まれた、全く新しい通信方式は、現在「パケット通信(交換)」と呼ばれているが、現在のインターネットの最も基礎的な技術である。
- 1965年1965年にRAND研究所は、ポール・バランのレポートの内容を推進するようにと正式に空軍に勧告した。空軍はこれを受けて、このシステムをコストと通信の秘匿性保持の側面から審査するための組織を作った。そして1966年にゴーサインが下り、国防総省のDCA(国防通信局)がシステムに当たることになった。しかし、DCAには当時、デジタル技術についてしっかり理解できる人が一人もいなかったし、熱意もなかった。ポール・バランは、この状況を見て実用化の見込みなしとして予算配分を取り消すことにした。ポール・バランはその後RAND研究所で全く別のテーマの研究に当たることになる。
- ポール・バランのこうした業績は「インターネットの祖父」として知られ始めた。一方、パケット通信の発明者は、同時代のイギリス国立物理学研究所所長ドナルド・ディビス氏という説もある。だが、バランが"それ"を見つけ、"パケット"という名前をディビスが見つけた。バランのつけた「分散型付加メッセージブロック」よりディビスのつけた「パケット」という方がはるかにスマートで、正確で、経済的だった。
- ソ連のスプートニクの打ち上げ成功が脅威となって、1958年、アイゼンハワー大統領は、スプートニク・ショックが二度と起こらないように、宇宙技術や最先端技術の研究を指揮するための機関としてDARPA(Defence Advanced Research Agency:国防高等研究計画局)という組織を設立した。その後すぐにNASAが設立されて宇宙開発部門はそこに移転し、DARPAはミサイル防衛システムの開発や指揮命令系統の研究などを指揮する機関となった。DARPAは国防総省の組織であり、ペンダコンの中にオフィスが置かれていた。DARPAは時代によって、頭のDがとれてARPAになったり再びDARPAになったりした。
- - 「新・電子立国 6巻 コンピュータ地球網」、相田 洋、矢吹 寿秀、1997.3.20 初版、日本放送協会
弾丸の発射も高速度カメラでとらえて、弾丸のスピード、姿勢などを計測する。
映像機器には一般的にどんなものがあるでしょうか。なじみの深いものから特殊なものまで紹介したいと思います。
【一般のカメラ】
【特殊なカメラ】
ドイツARRI社35mm映画カメラARRIFLEX535B世界で最も洗練された映画カメラ、数々のアカデミー賞を受賞
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