マウンテンバイク(MTB)始めました
- Part 2 -
(2003.04.10)
(1999.07.04書き始め)
『マウンテンバイク(MTB)始めました
- Part 1 -
』
はこちら
目次
9. 晩秋 2000年
(2000.11.20)
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都内 城南を走る
10. 2001年夏 三浦半島一周
(2001.07.29記)
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三浦半島への想い
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服装
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日程と行程、天候
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横浜、横須賀、浦賀、久里浜、三浦、三崎
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油壺、佐島、葉山、由比ヶ浜、鎌倉
9. 晩秋 2000年
(2000.11.20記、2001.08.30追記)
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都内城南を走る:
自分の仕事の環境が変わって、週末に自転車に乗る機会がグンと減っていたのですが、11月になって徐々にまた転がし始めました。
11月の2第二週の11日(土曜日)、久しぶりによく晴れたので自転車で晩秋の都内を走りました。
午後2時から7時まで52km走りました。丸一日走ったというわけではありませんが、しばらくぶりのまとまったライディングとなりました。
使用した自転車は、乗り始めて2900kmに達したブリジストンのアンカーAXNPです。ブリジストンはアンカーのクロモリバージョンの発売を止めたという話を仕事先のお客様から聞きました。アルミフレームとカーボンフレームになったと言っていました。
2001.08記: 久しぶりにブリジストンのホームページ
http://www.bscycle.co.jp/2001anchorweb/products/xc/xc_top.html
を訪問したらクロモリのフレームのモデルがまだ存在してました。XNPというモデルでクロモリフレームのアンカーの紹介がありました。まだまだクロモリは健在なのだなという感じをもちました。ちなみにブリジストンのクロスカントリータイプのマウンテンバイク、アンカーシリーズには6種類のモデルがあって、XCP(カーボンファイバー)、XNP(クロモリ)、XASD(アルミ)、XALP(アルミ)、XALD(アルミ)、XARD(アルミ)というラインアップでした。アルミフレームの品揃えが豊富でこのモデルの違いはリアサスペンションの味付けをストロークを大きくしたり小さくしたりで変わっているように見受けられました。アルミはそれだけ剛性がつよく程良く撓らずにトリッキーなんだと感じました。
都内の11月の中旬はさすがに風が冷たく、自転車の乗りはじめは肌寒い感じを受けました。この日の出で立ちは、木綿の半袖の下着の上に米国Berlington社のVERSATECHというウィンドブレーカの様な薄手の自転車ウェア1枚。手袋はNewBreed社のゴルフ手袋。ズボンは木綿のブリーフの上にEddieBauerの木綿パンツ。帽子はGAPの野球帽。
乗り始めて10分もするとちょっと汗ばんで来ました。乗り始めは体が自転車になじまないので体重移動のバランスがうまく取れず舵取りもなんとなくぎこちないのですがしばらくすると感覚を取り戻してバランスの取り方もうまくなってきます。それに体もぽかぽかしてきて自転車を漕いでいる間は寒さは感じません。しかし、久しぶりに走り込んだせいか筋肉痛になりました。首と手の裏、上腕筋が痛くなりました。
私の自転車はペダルの踏み出しを強くするためサドルを高めにセットしてあり(従ってサドルにお尻を乗せた状態では足が地面につかない)、かなり前傾姿勢で走るため腕にかなりの体重がかかるようになってます。この状態でブレーキをかけると自転車のブレーキの利きがすごいため重心が前に移動し腕に体重がかかるようになります。腕の力もかなり必要なのが自転車なんだと痛感しました。
自転車のルートは北区の王子から明治通で西巣鴨まで行き、そこから白山通り(国道17号)を南に下って皇居平河門にでます。皇居の西を回って南へ抜ける城南コースです。
皇居からは、三番町を通って四谷に出、迎賓館から神宮外苑を抜けて青山通りを突っ切って西麻布の元勤めていたビルを訪ね、そのあと麻布から仙台坂を転がるように麻布十番に下りていって、一の橋から虎ノ門、日比谷、銀座、築地を経て門前仲町に行き、新しい事務所へ寄ってちょいと片づけ仕事をして帰って来た、というルートです。
迎賓館の通りはユリノキの街路樹がちょうど良い黄葉でとてもきれいでした。ケヤキの黄葉よりもずっとキレイでした。プラタナスはまだ紅葉していませんでした。絵画館の有名なイチョウ並木はちょっと色づき始めた程度でした。
迎賓館の手前の広場ではブラスバンドとバトントアラーの若いすずやかな学生(上智大学)グループが音楽と振り付けの練習をしていました。テナーサックス、クラリネット、トランペット、サックス、ドラムの7人ぐらいのブラスバンドで、トアラーが6名、その他の取り巻きが10名くらい、総勢25名ぐらいのグループでとても雰囲気の良い若者達でした。演奏は素朴でとびっきりうまいというわけではかったのですが、とてもフィーリングが良くてアレンジが良かった。初々しかったし。曲目はかなり有名な若い子のものでその曲名は残念ながら思い出すにはいたりませんでした。メロディラインががとても暖かで、彼らの練習を見ていて涙が出ちゃいました。ああいう子たち見てると日本もまだまだ捨てたものじゃないって思います。翌日メロディーを思い出したので下の中学の息子に口笛吹いて曲名を教えてもらいました。
スピッツの「チェリー」っていう曲でした。良い歌でした。
六本木の朝日テレビのあった一角は(再開発のために)壊されていて整地がなされ大きな空がポッカリ見えていました。
麻布十番はすごい人の混みようで車も人もグチャグチャの状態でした。地下鉄の南北線の開通で北から南から人がやって来ているんでしょうか。屋台も出ていたからなんかのお祭りだったんだろうと思います。
日本橋から永代橋を渡って門前仲町の事務所に向かう頃はドップリと夕闇に包まれてしまって、晩秋の釣瓶落ちの宵にちょいとおセンチになりました。永代橋は青色のライトアップが施されていて隅田川の川面に映えてキレイでした。隅田川には屋形船が上り下りをしていて風情がありました。
三番町の山手に比べると門前仲町は随分下町だわい、と飛び込んでくる風景の違いにとても興味を覚えました。
10. 2001年夏 三浦半島一周
(2001.07.29記)
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三浦半島への想い:
マウンテンバイクに乗って本格的な泊まり込みのサイクリングを最後にしたのは
1999年11月28日の箱根路
。以来1年8ヶ月の月日が経ちました。私の次の目標の一つに三浦半島1周がありました。三浦半島は仕事の関係上車でしげく訪問している土地です。社会人になって2年目からこの土地へは車でよく来ていました。当時、横浜横須賀道路という三浦半島の真ん中の丘陵部を縦貫する高速道路が開通していなかったので、三浦半島の突端に出るには横浜から国道16号で東海岸から下るか、大船、鎌倉から由比ヶ浜の相模湾に出て西海岸から下りて行くかの2通りでした。東京から三浦半島に向かうには片道たっぷり2時間30分かかる遠い所でした。それだけ「海」の情緒をもった所でした。私が仕事上で訪れた三浦半島には追浜や田浦にある自動車会社、横須賀の自衛隊、走水にある防衛大学校や横須賀の山にある電電公社(現NTT)の研究所、長坂にある電力中央研究所、その隣にある大手電機会社の研究所、長瀬(久里浜)にある港湾技術研究所、その隣にある防衛庁技術研究所などがありました。また遊びでも油壺や鎌倉由比ヶ浜を訪れた思い出深い地でもあります。
三浦半島には、夏というイメージがつきまといます。東京の蒸し暑い事務所から車で三浦半島を訪れると、その海岸沿いは風がとても心地よく吹いていて明るい日射しと一緒にさわやかな潮の香りを運んでくれた思い出が強く残っているのです。
で、自転車に乗り慣れるに従っていつか自転車で海岸線を走ってみたいと考えるようになりました。東京から三浦半島までの突端まで約100km。1日で往復するはちょっと無理で1泊2日の行程で十分に楽しめるコースだと思っていました。
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服装:
夏はとにかく汗をかきます。汗をかいても速やかに体外に放出されればベトベトしなくて気持の良いものです。自転車を乗り始めた2年前の1999年、夏場のウェアは特に気にせずコットンのTシャツにコットンの野球帽を被ってました。しかし、木綿は吸湿性と保温性が良いというものの乾きが悪いため、スポーツなどで多量の汗をかいたりすると速やかに乾いてくれないという欠点もあります。シャツ全体が濡れてしまってそれ以上は汗を吸い取ってくれず皮膚がベトベトして悲鳴を上げます。1昨年(1999年)九十九里浜へサイクリングしたときコットンのTシャツでこの体験をしました。
というわけで今回、サイクリング用の上着を購入しました。購入したのはパールイズミ(Pearl Izumi)のブリージング・スペック(Breathing Spec)と呼ばれるウェア(約8,000円)です。このウェアは伸縮性に富んだナイロン素材(正確には、ユニチカが開発したルミエース = Limiace と呼ばれる化学繊維)を使用しています。
ヲ ルミエース = Limiace
断面の糸が一定ではない不定形断面を持つ化学繊維。この繊維をさらに抗菌防臭加工を施してスポーツウェア繊維用として開発されたそうです。繊維が細いため毛細現象によって皮膚上の汗を速やかに吸い取ってかつ速やかに乾くという特徴を持っています。
このウェアは威力バツグンでとても涼しい思いをしました。これを買ったのはサイクリングに行く1週間前でこれをよく晴れた暑い週末に着て都内を6時間かけて75kmを走ったのですが、汗をかいていないような錯覚を覚えました。汗がでる端からウェアがどんどん吸い取っていく感じでした。自転車で15km/hほどで走ると風を感じるようになるのですがこのウェアを着ているとその風がスースーと体の中に入って通り抜けるのです。その時汗を奪い去っていってくれる感じを受けました。世の中には便利なものがあるんだと感心しました。ただ、このウエアを着て雨に濡れたらどうなるでしょう。体温がグンと冷えるのではないかとちょっと心配になりました。秋口はちょっと使用がためらわれます。
今回のサイクリングは1泊2日の行程なのでリュックを背負わなければならず、リュックを背負うと熱が体内にこもって逃げないのではないかと不安でしたが、思っていたほど体の熱はこもりませんでした。
もう一つ今回のサイクリングに向けて買ったのは帽子。今まではGAPのコットン帽子を使っていましたが、汗で色あせてそれにすごい汗がこもるので自転車用のものを買いました。OAKLEYのメッシュ型ナイロン帽子(約4,000円)でした。素材はナイロン88%にスパンデックス(Spandex)12%を使っています。スパンデックスというのはポリウレタン繊維のことでアメリカで一般的な名称だそうです。スパンデックスは簡単に言えばゴムのようなもので、伸び縮みに特色のある繊維だそうです。ただゴムのように激しく伸び縮みはしない分強靱で細い繊維とすることができ、他の繊維と混ぜて織ることにより伸縮を持たせた布を作ることができるのだそうです。ポリウレタン繊維(スパンデックス)は、その伸縮性を生かしてブラジャー、ガードルなどのファンデーション類、パンテイストッキング、靴下、水着、ボディスーツなどから、肌着、Tシャツ類、ゴルフスラックスなど、さらには仕立て栄えや着心地改善を狙ってジャケットなどにも用いられています。ポリウレタン繊維は、米国のDuPont社(商標"ライクラ")が圧倒的なシェアーを有しているとのことです。
この繊維を使って作られた帽子も吸湿性と速乾性が良くていつもなら頭が汗でびっしょりになるのにこの帽子は汗を良く外に出してくれました。帽子は、風によって吹き飛ばされてしまうのでしっかり被らなければなりません。この帽子は伸縮が比較的自由にきくのでしっかりと頭を覆ってくれました。またツバの深い帽子だったので日射しをよけるのにも都合が良くとても快適でした。
その他に、パンツは2年前から履いている自転車用のナイロンパンツを使い、手袋はゴルフ用のグローブ(ブリジストン製、TourStage、約5,000円)を使いました。自転車に乗っているとグローブの必要性を痛切に感じます。手はちょっとしたことで傷つきます。傷つくと自転車の操縦に支障をきたします。手袋は手の汚れも守ってくれます。手袋を選ぶときはできるだけ手にフィットしたものを選ぶことです。手にフィットしたグローブは手袋をしたままで財布からお金を出したりカメラを操作したりする事ができ違和感がありません。
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日程と行程、天候:
二日間の行程は、行きが横浜から横須賀、久里浜から三浦市の三崎に入る113kmの行程でこれを8時間30分でこなしました。帰りは油壺から葉山、鎌倉を経て鎌倉街道から横浜に抜けるコースで、7時間、100kmの道のりでした。天候は概ね晴れ。絶好のサイクリング日和となりました。
2001年7月19日、例年になく早い梅雨明けで連日晴れの日が続いた東京地方。出発初日は曇天で所によっては雨が降るかもしれないという天候の中、朝8時30分に家を出ました。コースは白山通り(国道17号)から巣鴨、水道橋を経て皇居に出て九段坂を上り、靖国神社から赤坂に抜けて西麻布を通り天現寺から五反田を越えて国道1号線に出ました。国道1号線から川崎に出て横浜に向かいました。1号線は車線が広く、路肩も広くて自転車が走るにはありがたい道路です。歩道も広くて快適に横浜まで自転車を進めることができました。
東京から横浜へ行くには国道1号線を使うか国道15号線を使うかの2通りがあります。北のルートですと国道246号がありその中間には中原街道があります。ストレートに一番近道で横浜に出るには1号線か15号線がベストと思われます。1号線は15号線に比べるとアップダウンがキツイ道だと言われています。15号線は道の整備が1号線よりは遅れているような気がします。私は往路も復路も国道1号線を選びました。帰り道は休日もあってかトラックが少なく、それに全体の車も少なくて極めて走りやすい道路状況でした。
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横浜、横須賀、浦賀、久里浜、三浦、三崎:
横浜の「みなとみらい」に出て見ると、豪華客船「飛鳥」(あすか、28,700トン、全長192.8m)が停泊していて思わず見とれてデジカメに収めたのが上右の写真です。横浜は横浜駅東口から桜木町、関内にかけて大規模な開発を続けています。「みなとみらい」もランドマークタワーを始め大型展示ホール、ホテル宿泊施設、娯楽施設、ショッピン街などが完備し桜木町への人の流れを変えています。この桜木町みなとみらいから関内にかけて「港」「異国情緒」を意識した町作りをしていることを強く感じました。
「みなとみらい」と関内、山下公園で休憩した後、本牧をすり抜けて根岸に向かいました。根岸には昔から通っていたラーメン屋がありそこでこってりしたラーメン(キムチラーメン、海苔増し)を食べて、横須賀に向かいました。根岸から横須賀へは16号線ではなく産業道路を通りました。この道路には首都高速湾岸線、横浜新都市交通シーサイドラインが平行して走っています。産業道路はトラックが多いものの道路幅も広く自転車の走る領域が十分に確保されていて走りやすい道路でした。
八景島シーパラダイスに入る手前を右に折れて柴町から左手に「海の公園」を見ながら田浦まで裏道を走りました。ここは山が近いので道路は至る所に小さなトンネル(隧道 = ずいどう)があります。道も狭いので車はそれほど飛ばしていませんが注意して自転車を運転しなければなりません。田浦から国道16号に出て横須賀まで出ます。横須賀に着いたのが午後2時。JR横須賀駅は16号を離れて海岸に面した山が海岸まで押し寄せた狭い所にあります。従って、町は京浜急行の「横須賀中央」の方が開けています。私はこのJR横須賀の隣に位置する「横須賀臨海公園」で自転車を止め休憩しました。その時の写真が下の左写真です。
写真左:横須賀臨海公園、後ろは軍用艦 写真右:風力発電設備(三浦市宮川公園にて)
【三笠公園】
横須賀は、小泉総理大臣の出身地として最近注目を浴びています。また、ロックバンド「X-JAPAN」のメンバーhideの急逝を惜しんで造られた「hideミュージアム」があるそうです。私はあまり興味がなかったので訪問しませんでした。
横須賀港には日露戦争で活躍した戦艦「三笠」が記念艦として保存されていました。この三笠が係留されている所を三笠公園と言うのだそうです。三笠は、日露戦争時、連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将の旗艦として名を馳せた立派な軍艦で英国の西海岸にあるバーロー港のヴィッカース社で建造されたものです。進水は明治32年(1902年)。その軍艦が横須賀港に記念艦として係留されていたのです。わたしはこのことを全く知りませんでした。三笠は太平洋戦争後いくつかの苦難にあって装飾品や鉄、銅などの金属品が朝鮮戦争のために供出されたり、ダンスホールにもなっていたそうです。東郷平八郎を尊敬する太平洋戦争時の米・大平洋艦隊司令長官ニミッツ提督(日本の敗北を戦艦ミズーリで署名したときの全権の一人だった人)が荒廃した三笠を見て復旧に尽力し、今に見る記念艦「三笠」の推進役を果たしたと言われています。
そんな歴史的荒波に揉まれた戦艦「三笠」がひっそりと三笠公園に係留されていました。それにしても大きな戦艦でした。日露戦争時、こんな大きな戦艦があったんだなぁとビックリでした。ちなみに「三笠」は、速力18ノット、排水量15,362トン、30サンチ砲4門、15サンチ砲14門、8サンチ砲20門、魚雷発射管4門という当時世界でもっとも大きくもっとも強力な戦艦とされていました。
横須賀から久里浜に抜けるのには通常は大津から16号を右折して(ショートカットして)久里浜に抜けるのですが、今回は海岸沿いを走るのが目的でしたので、まっすぐ海岸沿いを進み馬堀海岸から走水を通って観音崎、浦賀へ抜けました。浦賀は入り江が深く切り込んでいて海が深く港としては理想的な地形をしています。ただ、入り江が小さいのでタンカーのような大きな船は入ることができません。米国のペリー提督が開国を要求して黒船を4隻引き連れて浦賀に入ってきたのはよく理解できます。当時の黒船はそれほど大きくなかったということでしょう(それにしても米国はそれらの地形をよく調べて来たものだと感心します)。入り江が深く海が深いというのはそれだけ山が近いことを意味していて道もそれだけ坂が多いことを考えねばなりません。私はその配慮が足りなかったようです。海岸線だからそんなに起伏は激しくないだろうと思ってたかをくくっていたのです。今回アップダウンのキツイ海岸線に結構体力を消耗しました。
横須賀からの最初の岬である観音崎に出て浦賀に向かう道が2kmほどの山道で、それに浦賀から長瀬、久里浜に出て野比を抜けて津久井から金田港、そして江奈漁港に向かう山道、江奈漁港を眼下にみて毘沙門漁港に向かう山道、岩堂山を抜けて宮川町に向かう山道、等々と6kmほどの行程の山道を、「こんなハズでは!」と思いながらヒィヒィ言って上って行きました。
久里浜と津久井の三浦海岸の海水浴場は汚れていました。海水浴客が持ち込んだ食べ物の袋や缶が浜辺の至る所に散らばっていました。その中で美しい娘さん二人連れが水着姿で肌を焼いていました。
なぁんかアンバランスだなぁって思いました。私ははどうもそういう所では泳ぎたくないなって思ってしまいます。もっと綺麗な海で楽しめば良いのにと思います。それ以上に、みんなの楽しむ場所を汚さないというモラルも大切だなぁって考えさせられました。
三浦半島は何度も言いますが山が近くて海から一気に山になります。三浦市の丘陵地は畑が良く耕されていて、付加価値の高い野菜がいっぱい作られています。スイカやメロン、キャベツにダイコン。それに畑一面マリーゴルドの花(ひょっとするとベニバナだったのかも?)。これらの野菜や花が夏の日射しに輝いてとてもきれいに見えました。豊かな町だなぁと思いました。
海岸沿いばかりでなく「三崎口」などの丘陵地に上がると涼しい風が吹いてます。それがすごく気持が良いのです。
三浦半島は風がけっこう吹くようです。半島の突端の高台の宮川町を通ったとき(ここは三崎に入る最後の山道の頂上)、そこに公園があって風力発電が2基設置されていてブンブン動いていました。風力発電のノウハウはデンマークが一抜けしているようです(ドイツも原子力を撤廃して風力発電や太陽光発電に力を入れるようです)。ここにもデンマーク製の風力発電設備が設置されてました(上の写真)。風速3mから発電を開始して、15m/sが定格で400Kwを出すそうですが、15m/sってのは台風並の風だからちょっとすごい風です。3m/sだったら通常の海風でなんとか吹いてくれそうな感じを受けました。台風なみの強風の15m/sで400KWの定格電力を発生し、これは200-300家庭分の電力がまかなえます。
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油壺、佐島、葉山、由比ヶ浜、鎌倉:
泊まった宿は三崎の「岬陽館(こうようかん)」という日本旅館でした。北原白秋が投宿したっていうんで有名な宿だそうです。宿自体はかなり古い感じでした。
三崎の先には城ヶ島があります。白秋が作った「雨は降る、降る、城ヶ島の磯に 利休鼠の雨が降る ・・・」という詩で有名な島です。そこへは三崎から橋で渡るのですがわたしはそこには渡らずじまいでした。
岬陽館のお風呂で旅の疲れを癒しておいしい食事をいただき、夜は波の音を聞きながらぐっすり眠りました。
翌朝もよく晴れました。初日、三浦半島の東側の海岸沿いを走った時はあまり綺麗な印象を与えなかったのに、二日目の行程である三浦半島西海岸の葉山から鎌倉に向かう海岸沿いは掃除も行き届いていて気持よくサイクリングをすることができました。
三崎から三浦半島の西海岸に進路を取り山に登ると油壺に抜ける道に出ます。この道は山あいの丘陵を抜ける道で、三浦半島の東海岸に出るか西海岸に出る追分けの地、「引橋」という三叉路になります。西海岸に進路をとると京浜急行の「三崎口」という駅に向かい、その駅をすり抜けると一気に下り坂となり長井の浜に出ます。
林ロータリを左に折れて長い坂道を通って秋谷に出ます。山を越えずに海岸線に向かうと佐島に出ることができます。佐島は油壺と並んでヨットハーバーで有名です。秋谷から長者ヶ崎、森戸海岸にいたる海岸線はとてもキレイで磯もありました。ここは晴れた日には遠くに富士山が見え江ノ島も見える風光明媚な海岸線です。私が走った朝は干潮で磯が干上がっていました。遊びに来ていた家族連れがその磯に出て遊んでいました。海から渡ってくる風も涼しくて夏の海に来たなという感じを受けました。森戸海岸から葉山、逗子、由比ヶ浜にいたる海岸通は海の家もちゃんとできていて管理もしっかりできてる感じを受け、その海岸通を走る私はご機嫌でした。上の左の写真は、逗子海水浴場から葉山港方面の風景です。
由比ヶ浜から鎌倉、鶴岡八幡宮に向かう目抜き通りはお洒落なお店で埋め尽くされていました。観光のメッカと言ったところでしょうか。
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マウンテンバイク始めました -
Part1
-
目次
1. マウンテンバイク始めてます
1-1. マウンテンバイク始めました
1-2. 安藤家のマウンテンバイク(MTB)
1-3. マウンテンバイク(MTB)の良さ
1-4. 友人Aからのメール
1-5. 慣性モーメント
1-6. 風圧
1-7. 始動トルク
(1999.9.18)
2. MTBの種類
2-1. タイヤ
2-2. 変速ギア
2-3. スピードメータ
2-4. フレーム
2-5. サスペンション&ブレーキ
2-6. マウンテンバイク(MTB)のメーカー
2-7. マウンテンバイクの必携アイテム
3. MTBの購入
3-1. 友人Kの購入したGT
(1999.9.1)
3-2. 私の購入したAnchor AXNP
(1999.10.1)
4. ライディング&ドライビング
4-1. 市内走行
4-2. 会社までのライディングコース
4-3. 歩道のシケイン(障害物)
4-4. 雨の日のライディング
4-5.冬の出で立ち
(1999.12.29)(2000.06.07)
4-6. 街路樹/公園
(2000.06.07)
5. 夏休み99 - 九十九里浜一泊サイクリング
(1999.8.9)
5-1. トレーニング
5-2. 九十九里へ
5-3. サイクリングの実際
5-4. 痛いイタイ
5-5. 危険な道
5-6. 白子海岸
6. 甲州街道を行く99 - 勝沼一泊サイクリング
(1999.10.7)
6-1. 事前トレーニング
6-2. いざ甲州
6-3. 行く手を阻む(はばむ)山また山
6-4. 新笹子トンネル
6-5. 勝沼
【甲斐の国】
(1999.12.29)
6-6. 新車の乗車感
7. 自転車ショー(Sports Bicycle Show 2000)
(1999.11.28)
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ブリジストン Anchor AXAP:
■
Bianchi XL EV2 Millennio:
8. 晩秋の箱根路
(1999.11.28)
■
服装
■
国道246号線
■
晩秋御殿場の夕暮れと
■
乙女峠と箱根街道下り
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Part1
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