AnfoWorld オムニバス情報1(1999.03.13更新)
今回の私の参加は、休日ではなく、平日だった。休日は、別件でコンピュータの立ち上げが予定されていたためである。
ファイルメーカ社やApple社など興味あるブースは一日中講演を聴いていても飽きない。プレゼンテーションの仕方、コンピュータの使い方、プロジェクターの使い方、どれをとっても洗練されている。
朝日新聞(199年2月19日)の朝刊にも、カリスマ スティーブ・ジョブズを中心としたアップル軍団の戦略の慧眼に賛美を送っている。
【1.3GB容量のMO - Yanoから】
【DVD-RAM - 松下から】
【データベースの統一】
【デジタルカメラ戦争】
高校になって、自分の思考や好みが京都の文化人に傾倒していくのがわかった。京都大学教授で南極越冬隊長だった西堀栄三郎の人柄に触れ、あんな人になりたいなぁと思うようになったし、京都大学フランス語教授の桑原武雄の書いた人物書評の筆致の巧みさに、あんな風に簡潔に美しくかけたらなぁと思った。京都大学物理学湯川秀樹教授のものの考え方に強烈に引かれたし、進化論で独自の見知を開いた今西錦司教授にも引かれるものがあった。そして日本の文化を論じたらこの人の右に出るものはいない司馬遼太郎氏、バランスのとれた経済評論家堺屋太一氏、鋭い洞察力で文明を論じた京都大学高坂 正堯教授。京都をとりまく関西には独創的な切り口を見せる文化人がきら星の如くにいる。
これらの舵取りが正しかったかどうかを、我々マックユーザは複雑な思いでながめることにしよう。
星野道夫のこと
- 1996.10.29 記 -
日本は、学歴社会とよく言われる。義務教育と高等教育を通して、学力に重きを置いた教育がなされ、「学歴」という勲章を得ることによって社会生活のシード権を得る仕組みになっている。日本人の80%が農民で、一部の公家を除いて、明治以降、より良い社会的地位を築いていくために人々は、『お金』か、さもなくば差別できる何かを設けて階層化した。その差別化が学歴だったのだ。日本の教育システムは、明治時代手っ取り早く西洋の教育システムを導入して作り上げた。もともと日本人は江戸時代から教育は盛んで寺子屋がたくさんあったが、それは必要最低限の処方的な生活上の智恵(読み書き算盤)であって、ステータスというほどに昇華したものではなかった。江戸時代、徳川家を補佐するブレーンとして昌平坂学問所を設けてエリートを育成した。しかし、これは広く門戸を開けたシステムではなかった。明治時代になると、官僚を育てる教育機関が必要となり東京帝国大学が設立された。
人間の知恵が重きを置いていなかった当時、体力と腕力に優れたものがリーダシップを取った(戦国時代の武将は字を読むことも書くこともできなかった)。武器を使い始めると、こうしたものを器用に使いこなせ、そうした集団を統率できる人間がリーダになった。頭が良いというのがリーダの一条件となった。頭が良いという判断はいろいろな基準があるので一概に言えないが、知能指数という物差しも、頭の素性を図る上である程度の判断材料にはなる。要するに頭の回転である。物事を認識できる能力、記憶能力、推理能力、類推(るいすい)能力、帰納(きのう)能力、演繹(えんえき)能力などを言う。
1996年始め セオモア・クレイは新しい会社を設立するために動き始めた。会社の名前はSRCコンピューターズ(セオモア・ロジャー・クレー・コンピューターズ)。インテルのマイクロチップを512個使い、超並列コンピュータを作る予定だった。演算速度は1TFLOPS。CRAY-1の12,000倍である。
1996年9月12日日曜日 セオモア・クレイ氏死亡。70歳
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キャッシュ |
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128MB EDO JEDEC DIMM、1GB max |
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